2011年03月21日

あきらめない気持ち


<東日本大震災>ヨーグルトでしのぎ 9日ぶり生還の2人
毎日新聞 [3/20 20:06]

孫は動けない祖母を守り続け、9日間耐え抜いた。東日本大震災で壊滅的な被害を受けた宮城県石巻市で20日、217時間ぶりに救出された高校1年、阿部任(じん)さん(16)と祖母寿美(すみ)さん(80)。2人は倒壊した自宅の冷蔵庫にあった水やヨーグルトなどを口にして助けを待った。救助された時、寿美さんは救急隊員の励ましに何度もうなずき、「孫はどこ?」と任さんを気遣った。助け出した警察官らの泥まみれの顔に涙が伝った。【大場弘行、前谷宏】

旧北上川の河口から数百メートルの石巻市門脇町。救出の現場に記者2人は居合わせた。

◇がれきの中「助けて」

津波に襲われたこの一帯で救助活動中だった県警石巻署員が、「助けて」という少年の声を聞いたのは午後4時ごろ。
がれきをよじ登り、板を引きはがしながら奧に進むと、倒壊した家の屋根に乗った少年が「うちの中にばあちゃんがいます。助けてください」と叫んだ。ジャージーの上下にバスタオルを数枚巻いただけ。靴もはいていない。任さんだった。

署員がさらに進むと、倒れたクローゼットの上に布団にくるまった寿美さんがいた。署員と目が合うと、「よかった」と涙を流し、「足が悪くて動けない」と訴えたという。

地元の消防隊員のほか、新潟県の隊員らも駆け付ける。上空には救出に備え鹿児島県警のヘリが舞う。

◇「ここ、外ですか」

約1時間後、寿美さんが担架で運ばれて出てきた。隊員たちが「頑張れ」と声をかける。
ヘリでの搬送のため毛布が取られると、寿美さんはまぶしそうに「ここ、外ですか」。黒いジャンパーを着ていたが、足は素足で青白い。消防隊員が「地震からずっとおうちにいたの」と聞くと、「はい」と答えた。

健康状態などを確認する隊員に、寿美さんは「孫はどこさいる?」と自宅の方向を見やった。隊員に抱きかかえられながらロープでヘリに引き上げられる時、放心状態の任さんも救出された。ヘリを見上げる地元の消防隊員(38)は涙ぐみながら「よかった」と何度もうなずいた。

地震の際、2人は2階の台所で食事中だったという。救出時、そばにはパンや冷凍たこ焼き、焼きのりなどの袋もあった。おばあちゃん子の任さんは、動けない寿美さんのために隣室から毛布を運び、励まし続けた。
任さんは「がれきに閉じこめられていたけど、余震が落ち着き、今日ようやく外に出られた」と署員らに話したという。同署は屋根裏に通じるすき間から体を入れ、屋根を突き破って外に出たとみている。任さんは、署員が差し出したお菓子をおいしそうに食べたという。

◇父「信じていた」

救助された阿部任さんの父明さん(57)が20日夜、次男任さんと寿美さんが搬送された石巻赤十字病院で記者会見。「一報を聞いた時に救われる思いがした。絶対に生きていると信じていた。本当にありがとうございました」と頭をさげた。祖母を励まし続けた任さんに「よく頑張った」とねぎらいの言葉をかけたという。
明さんによると、地震翌日の12日朝9時、いったん寿美さんの携帯電話につながり、任さんが出て「家は全部つぶれたけど、今台所にいる」と話した。しかし、家があった場所には家屋がなく、母、兄、叔母が捜索していたという。2人は家ごと津波に流されたとみられる。

一方、安否不明者が多数いることに触れ、「私たちだけこんな幸せを味わうことを申し訳なく思う。何か役立つことをしようと家族で話し合いたい」と話した。

会見に同席した石巻日赤の小林道生・救急救命センター副センター長によると、寿美さんは軽い脱水症状で、任さんも左足にはれがあるが、2人とも他に目立った症状はなく元気という。
小林副センター長は2人の生還について「奇跡的に冷蔵庫や台所に近いところに閉じ込められ、水と食料があったことや、体がぬれなかったことがよかった」と話した。【比嘉洋】



災害に遭って救助されるまでのタイムリミットは72時間が限度だと言われるが、それをはるかに超えたのは奇跡的だといえます。仙台のラジオ局は連日のように安否確認の情報が流れています。この救助のニュースは、被災者だけでなく、救助関係者や震災報道の関係者にも勇気を与えてくれるものです。何が何でも諦めない気持ちが大切だという事を感じさせます。



Posted by うさぎいぬ at 08:05│Comments(0)
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