2024年11月04日
「かもめ族」は485系「赤いかもめ」が由来という説
九州ローカルネタになりますが、週休二日制が定着しつつある90年代初頭に九州各地から特急列車や高速バスに乗って福岡市の天神や博多駅に遊びに行く若者(特に女の子)を「かもめ族」や「つばめ族」とメディアが呼んでいました。
特に天神は岩田屋や大丸、三越の百貨店に天神コアやビブレ(天神のビブレは各地にあるビブレの嚆矢)、イムズなどの商業施設が多かったですが、いわゆる“天神ビッグバン”(ビッグバンと言えば空回りした日本ハムファイターズのビッグバン打線を連想します(笑)ソフトバンクホークスのダイハード打線にあやかって“天神ダイハード”とか近鉄バファローズのいてまえ打線にあやかって“天神いてまえ”にしなかったのは何故でしょうか)で、天神コアやビブレ、イムズなどの商業施設を解体して再開発しました。
それはさておき、週休二日制が定着した週末にJRの特急列車やバス会社の高速バスに乗って天神を訪れる若者(女の子)たちを九州地方のメディアはこぞって「かもめ族」(長崎県から訪れる若者)、「つばめ族」(熊本県や鹿児島県から訪れる若者)、「フェニックス族」(宮崎県から訪れる若者)と呼ぶようになりました。国鉄が分割民営化されても、JR各社は新車はほとんどなく、せいぜいJR東日本の185系くらいでした。この車両も普通車は京阪神の新快速と同じタイプの転換クロスシートでした。
JR九州は民営化の翌年に「ハイパーサルーン」と呼ばれる783系車両を高速バスや航空機の競争が激化していた鹿児島本線の博多〜西鹿児島(現在は鹿児島中央)間に投入されました。グリーン車は従来よりも座席幅が広いリクライニングシートで、音楽サービスと液晶テレビを備えたビデオサービスが実施され、普通車もリクライニングシートにフットレストを備えた画期的なものでした。一方、国鉄時代から走っている485系車両はリクライニングしない回転クロスシートからリクライニングシートに交換されたものもありましたが、ほとんどはリクライニングしない回転クロスシートでした。
長崎自動車道が全通した1990年にJR九州はイメージアップのために、車両を真っ赤を塗装して(工業デザイナーの水戸岡鋭治氏が手掛けたとされています)、座席もリクライニングシートに交換しました。これは強烈なインパクトを与えるもので、この頃から長崎県から福岡市に遊びに行く若者を「かもめ族」と呼ぶようになりました。派生語として熊本県や鹿児島県から福岡市に遊びに行く若者は「有明族」(後の「つばめ族」)、宮崎県から福岡市に遊びに行く若者は高速バスの愛称から「フェニックス族」と呼ぶようになりました。
一方で京阪神に遊びに行く若者を「サンダーバード族」とか、名古屋に遊びに行く若者を「しらさぎ族」とか「しなの族」とか、東京に遊びに行く若者を「あずさ族」とか「ひたち族」とか呼ばれる事はありません。埼玉県秩父市や所沢市から池袋に遊びに行く若者を「ちちぶ族」とか呼ぶ(呼ばれる)のは抵抗を感じるでしょう。
Posted by うさぎいぬ at 12:00│Comments(0)