かつて「ヒルネ」と呼ばれるサービスがあった説

現在、ブルートレインと呼ばれる寝台列車(寝台特急)は東京〜高松間の「サンライズ瀬戸」と東京〜出雲市間の「サンライズ出雲」のみになりました。しかし、1985年当時は「あさかぜ」「はやぶさ」「富士」「あけぼの」「日本海」など、多くの寝台列車が走っていました。
東北地方や九州地方の一部区間の寝台特急では下りは「立席特急券」(券面には「立席特急券では着席できません」と書かれていますが、実際は空いている寝台や通路側の折り畳みの座席に座れる)、上りは指定席特急券で利用できました。また、プルマン式(開放型)A寝台は特急券とグリーン券の購入で利用できました。
こうした寝台列車の利用を「ヒルネ」と呼ばれていました。末端区間は乗客が少なくなるので、空気を運ぶよりも途中駅から乗客を乗せたほうが増収にもつながるという旧国鉄の考えもあったようです。ちなみに「ヒルネ」の「ネ」は寝台車を表す「ネ」から来ていると言われています。
自分は九州出身なので、寝台列車のヒルネを何度か利用しました。なお、立席特急券は自由席特急券と同額ですが、自由席特急券では乗ることはできません。また、かつて存在していた特急の自由席に乗れる「ワイド周遊券」や「周遊きっぷ」であっても立席特急券の購入が必要です。また、九州内でかつて販売されていた特急指定席利用の「Qきっぷ(民営化後は「九州Lきっぷ」)」では寝台車の座席利用はできませんでしたが、後に立席特急券をお求めになれば利用できるようになりました。
「はやぶさ」(現在では東北・北海道新幹線の名前ですが、当時は東京~西鹿児島間の寝台特急の名前で、ブルートレインの代名詞だった)に小倉から博多まで乗ったことがありました。その日は混雑した時期でした(とは言え、寝台特急は全車指定なのでデッキまで混雑することはない)。初めて食堂車というものを利用しました。その頃の食堂車の朝食はバイキング形式になっていたと記憶していますけど(JR時刻表89年9月号で確認したら、モーニングタイムの和洋バイキングで1200円でした)、見慣れた車窓の風景でも違って見えるので不思議なものです。
現在は寝台特急の「ヒルネ」利用の制度はありません。「サンライズ瀬戸・出雲」の寝台車はオール個室で開放型寝台はありません。「ノビノビ座席」は寝台ではなく普通車指定席の扱いです。
Posted by
うさぎいぬ
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12:00
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