2024年03月02日

長門裕之と南田洋子のコンビは「ミュージックフェア」を連想する説


フジテレビ系で毎週土曜日の夕方6時に放送されている「シオノギ・ミュージックフェア」は東京オリンピックが開催された1964年8月31日に放送が開始されました。フジテレビと関西テレビは放送開始からネットされていますが、北海道文化放送や東海テレビは一時期ネットされなかった時期もありました。福岡県ではテレビ西日本はまだ日本テレビ系列であったため、フジテレビと日本教育テレビのクロスネットだった九州朝日放送がネットしていました。また、広島県ではテレビ新広島が開局前だったため、広島テレビがネットしていました。

1981年10月の番組改変iconN04(本来は「番組改編」と表記するが)で、石川テレビや秋田テレビ、山形テレビ(当時はテレビ朝日系でなくフジテレビ系)など、大半の系列局でネットが打ち切られました。一方、福島県や宮崎県、鹿児島県などは1日たりとも「ミュージックフェア」は放送されていません。鹿児島県では鹿児島テレビのネットから漏れた日本テレビ系やフジテレビ系の番組を南日本放送がネットしていましたが、「ミュージックフェア」はネットされませんでした。

2024年3月2日の放送では、ゲスト出演者の松任谷由実が能登半島地震で大きな被害を受けた石川県への祈りを込めて「春よ来い」を披露するそうですが、残念ながら石川テレビではネットされない模様です。なお、松任谷由実は石川県観光ブランドプロデューサーを務めています。塩野義製薬様、この日だけでも石川テレビにネットすべきですよね。
 
ある系列のブロガー様(秋田県在住のVBCテレビ様ではありません)が言っていましたが、50代の人を中心に「ミュージックフェア」の司会は軽部真一(フジテレビアナウンサー)と仲間由紀恵ではなく、長門裕之と南田洋子のコンビを連想するのは本当ですか?と疑問に思っていますが、それは本当です。

長門裕之と南田洋子は芸能界きっての“おしどり夫婦”として知られ(85年に長門裕之が執筆した暴露本「洋子へ」で夫婦関係がおかしくなり離婚の危機と言われましたが…)、様々なドラマやバラエティー番組、CMなどに共演していました。長門裕之と南田洋子の司会は18年弱続きましたが、「ミュージックフェア」の最長司会者は俳優の鈴木杏樹の20年です。それでも「ミュージックフェア」の司会は鈴木杏樹ではなく長門裕之と南田洋子のコンビを連想するのは、シオノギ製薬の保守的な静止画のCMもセットで印象づけられているのでしょう。アレを見せつけられると、音楽が“音が苦”に感じた人もいたでしょう。長門裕之と南田洋子のコンビの時代の放送時間は火曜日夜9時半でした。当時の夜9時なんて本当に深夜に等しい時間でしたから。日本テレビ系列で放送された「金曜10時うわさのチャンネル」というバラエティー番組ですら、子供には見せてもらえませんでした。子供が夜9時台の番組を見せてもらえたのはテレビ朝日系「欽ちゃんのどこまでやるの!?」やTBS系「ザ・ベストテン」の頃でした。

ところでシオノギ製薬のホームページでの「ミュージックフェア」の番組紹介記事には「最高の音響効果、照明、セット、そしてすばらしい雰囲気の中で、一流の歌手による素敵な歌をじっくりと聴いていただく」ことをモットーに、常に変わらぬ姿勢で番組を提供しています。…とありますが、秋田県在住のVBCテレビ様は「ジャニタレやAKB48、ももいろクローバーZなどを出演させていて『一流の歌手』はないだろ!」と毒づくでしょうね




Posted by うさぎいぬ at 12:00 Comments( 0 )