2010年04月29日

渋田治代選手のこと

今日は私が贔屓にしている女子競艇選手の渋田治代選手の誕生日です。「どんな選手なの?」と思っている人もいると思いますので、ちょっと紹介したいと思います。
渋田選手(当時は元山治代という名前)は高校卒業を期を競艇選手を志していましたが、両親の猛反対に遭い、敢え無く断念。OLとして事務の仕事に励んでいました。同じ高校に通っていた同級生(ただしクラスは別)の藤家妙子選手(引退)の話を聞くにつれ、再度、競艇選手になる夢を持ち、両親を説得して、65期生として当時の本栖研修所に入所しました。ちなみに、同期に寺田千恵選手などがいました。しかし、半年ほどして、急性肝炎を患い入院。退院した頃は年齢オーバーで選手の夢を捨てざるを得なかったですが、当時の所長などの計らいで67期生として編入しました。
デビュー戦は90年11月の福岡で3着でした。その後は6着続きでしたが、最終日のレースでは2着に入着した事もあってか?後日の東スポの裏一面を飾った事もありました。
そんな輝かしい一面?を覗かせますが、デビューから3年は、なかなか上位に入着できず、低勝率で8項に抵触して選手生命の危機に陥った事もありました。既に入っていたレースの斡旋を辞退して、競艇場で練習に明け暮れる日々が続いたそうです。復帰後は徐々に成績を伸ばし、そして95年5月に群馬県の桐生で涙の初優勝を飾り、念願のA級入りを果たしました。
しかし、ここから波瀾万丈の幕開けでもありました。フライング連発で調子を落とす事もしばしばでした。01年は130日もフライング休みを余儀なくされた事もありました(もっとも、休み中に妊娠が判明して、一年間レースから遠ざかった)。
一方、私生活では、焼鳥屋で知り合った男性と結婚して、一人娘を出産。02年7月に出産後は、4ヶ月後にママさん選手としてレースに復帰しました。2回目の優勝は04年12月の尼崎で、女子選手の中でも強豪の淺田千亜希選手と激しいデッドヒートを繰り広げ、9年7ヶ月ぶりの優勝を飾りました。
決して、そんなに強い選手ではありませんが、クビ寸前になりながらも20年近く現役で走り続け、他の選手からの信頼も厚く、模範になる選手といえます。
現在はフライング休みですが、5月からフライング休みが明けてすぐに、福岡県の芦屋で久しぶりのレースに復帰します(ちなみに関西では5月16日からの尼崎、6月15日からのびわこで出場予定です)。まだまだ現役で走ってくれそうですが、大きなケガだけはしないで頑張ってほしいですね(^-^)



Posted by うさぎいぬ at 22:08│Comments(0)
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